菊池 憲宣 (きくち のりよし)

1969 ANA全日空入社・航空機整備士

    B2, L10, B6, B72, B74一等航空整備士資格取得

    ボーインク技術者との業務英語を経験

1978 オーストラリア・シドニー/カンタス航空・B747訓練1ヶ月滞在

1982 アメリカ・シアトル/ボーイング社・B747耐空検査3ヶ月滞在

1990 フランス・パリ/成田-パリ路線開設・整備マネージャー5年駐在

1996 インド・ムンバイ/関空-ムンバイ路線開設・整マ-支店長5年駐在

2003 TOEIC Test 860点スーパーマラソン通信教育-実施 & 修了証

2005 九州国立博物館・英語館内案内ボランティア1年実施

2010 2月 「英会話Japa-Lish日本語の英文法語順」著作・出版

          4月 母校高校にて「国際化」をテーマに講演

2022 「自分の思いを英語にするJapa-Lish/Kikuchi Method」改訂・出版

2023 ホームページ https://japa-lish.net/ リニューアル公開



1978 豪・シドニー/カンタス航空・B747訓練1ヶ月滞在

ANAは B747新機種導入の際に、整備士の訓練をオーストラリア・カンタス航空へ依頼、20人学級の一人として、構造・機能の座学と実機訓練を受講しました。
Sundayサンダイ(日曜日)、leverリーヴァ(機械レバー)など、アメリカ英語を勉強した私達にとって、初めての英系オーストラリア英語発音にびっくり、また数字英語がわからないため何度も繰り返してもらったものでした。

1982 米・シアトル/ボーイング社・B747耐空検査3ヶ月滞在

ANAが購入した機体1機毎に、航空局検査官による耐空検査(製造過程検査・地上検査・飛行検査)が行われますが、私が整備本部・検査員の一人としてB747-200型機・JA8158を担当しました。
ボーイング社工場・生活にて、アメリカ人の大きな声と話しの速さに常に圧倒され続けました。
日本人の多くが学ぶアメリカ英語ですが、会話についていけ誕生記ないと無視されたり、話が下手だとバカにされたりで、何でもはっきりと言うアメリカ人だということがわかりました。

1990 フランス/成田-パリ路線開設・整備マネージャー5年駐在

成田-パリ路線開設はパリ・シャルルドゴール空港で、整備業務は現地の航空会社エアフランスへの委託契約になり、私・整備マネージャーはエアフランスの整備士が行う「飛行間点検と不具合処理作業」の管理・監督業務を行います。
ANAパリ支店空港所として整備事務所を立ち上げた上で、エアフランス整備士に対する訓練や日本から送られてきた部品類を配置するなど、準備に約半年かかりました。
そして、成田-パリ路線の初便が来た時は、初便のお客様と共にANA役員・パリ支店長・私たちスタッフによる盛大なセレモニーがあり大感激、人生の良き思い出となりました。

皆さんもご存じのように、フランスはイギリスと共に歴史のある大国で、フランス語もカナダやアフリカなど、多くの国に採用されています。
職場にてフランス人が話す鼻に抜ける発音の英語がわからず、何度も聞き返しては高貴なフランス人に嫌がられたものでした。
ヨーロッパ各国もさまざまです。スペインではBarバル(立ち飲み屋)、アラブ系の人たちも舌を思い切り巻くようにしてRacing-carルエイシング・カル(競技車)などなどです。

1996 インド/関空-ムンバイ路線開設・整マ・支店長5年駐在

ムンバイは以前ボンベイと呼ばれていた商業都市で、インド地図上の逆三角形において西側の中間に位置し、アラビア海に面した街で常夏です。
ここでは、空港事務所での整備業務だけではなく、支店事務所で現地採用の営業マネージャーと貨物マネージャーとの販売促進活動、さらに営業本部への活動・実績の報告など、大変な思いをしながらの日々でしたが何とかこなすことが出来ました。

インド国内にはヒンズー言語が数多くあり、地方へ行くとお互いの言葉が全く通じないそうです。
例えば、インド・ルピーの紙幣には、16もの言語で金額を表しています。
このような混乱を避けるために、英語に統一するとの政策があり、小学校から国語と英語は同時スタートしますが、英語が大変上手で、現地採用のスタッフ全ての人たちは、スタッフ同士でもいつも英語で話をしています。
しかし、彼らの口にこもった喋りの発音とアメリカ人以上の喋りの速さに慣れるのが大変でした。
特に電話での会話はいっそう大変でしたが、彼らが話す高度な英語によって、私の英会話スピーキングが鍛えられたことを感謝しています。